2018/04/20
う昨日、大泊の古民家カフェ【福猫】で、まだまだ多くの人々が暮らしていた昭和30年40年代、この島で暮らしておられたTさんから、年末の島の暮らし、漁師の家の暮らしのお話を伺いました。
そのお話によると、
漁師の家のT家では、家長の父親と長男は、大晦日、先ず身を清め、新しい服に着替え、そして家の神様に料理をお供え後、家の近くの氏神様に先ずお参りし、鹿嶋神社に豊漁と安全を祈願し、大泊の数カ所の氏神様を順にお参りして自宅に戻り、神様にお供えしてあった料理をいただくことが年末のしきたりであったとの事です。まだ子供だったTさんは家族に起こされ、眠い目をこすりながらこの大晦日の漁師の家の大切な行事をやったものですと回想されております。
また、大泊は昔から水(地下水)に恵まれ、多くの船が飲料水を求めて港にやってきたそうです。井戸は村々のあちこちにあり、今でも残っているものもあります。
例えば【弘法様の井戸】は伊達政宗家臣支倉常長らの慶長遣欧使らを乗せた木造帆船『サンファン・バウティスタ号』がローマを目指す太平洋横断の旅に出る前にこの井戸の水を汲むためにこの大泊に停泊したと伝えられています。